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タイトル
オレと芝生

及部

つくばの田舎道をドライブしていると、ふと気づく。あれ、芝?えっ、これ芝畑?

茨城県は芝の栽培面積(3900ha)、生産額(30億円)とともに日本一の芝産地。

全国の芝のうち54%もの芝は茨城県で生産され、さらにその茨城県で生産される

芝のうち8割はつくばで生産されている。

つまり、全国の43%以上もの芝がつくばで作られているのだ。


今回は、「芝生を作る人」芝生産者の芝との関わりについてお届けします。

バロネスEメールマガジン読者の皆さまに

一人の生産者が芝への親心を語ってくださいました。

日本一の芝産地、茨城県にあるスズキ造園土木株式会社 代表取締役 鈴木武士氏です。

http://www.suzuki-zouen.co.jp/


そもそもなぜ、つくばが日本一の芝産地になったのか。

鈴木氏によると歴史は諸説あるという。

昭和30年代(1950~1965年)の話。

東京渋谷の駅前にも芝畑があったというぐらい東京都内にも多くの芝屋があった。

しかし、都内の宅地化が進み、芝を生産する土地が減少したため土地を探して

辿り着いた地がつくばだった。

まずひとつは、戦後開拓団により、戦時中にあった飛行場跡地に芝生が植え付けられた。

つくばの土地は痩せて農作物を育てるのには不向きであったこともあり、農地法改正に

伴い、つくばの平坦な地形を利用した転作作物として芝が導入されたそうだ。

もうひとつは、俗にいう山シバを採取して販売を始めたという説もあるという。

そして、その頃ちょうど高度経済成長期も手伝い、ゴルフ場をはじめ、河川堤防や高速

道路の法面、公園等で利用され、量販店、ホームセンター等から多くの需要があった

ため、芝栽培発展にも拍車をかけたとのこと。


スズキ造園土木は、鈴木氏の父 鈴木富士雄氏が修行後、昭和44年(1969年)に

創業し、現在に至る。

鈴木氏は芝屋の息子として筑波山の麓に生まれ、芝が身近にあることが当たり前の環境

で幼少期を過ごした。少年時代は芝畑で野球をして遊ぶ傍ら、芝刈りの手伝いをさせ

られた思い出を嬉しそうに語った。

大学卒業後は父の意向もあり、社会勉強のために就職し、

愛知県名古屋市の事業所に配属されて、3年間サラリーマンとして働いた。

その後、やっぱりオレは芝屋になる!と地元に戻って家業を継いだ。

サラリーマン時代は芝生産とはまったく畑の違う仕事だったため、職人さんと一緒に

現場仕事を覚えることから始めた。

サラリーマン時代の経験から、新しい仕事を覚えることは苦にならなかったが、子ども

の頃芝刈りを手伝った経験はやっぱり役に立ったという。

そして半年間、新潟県のゴルフ場造成に住み込みで携わった。

そこで学んだこと、それは、芝屋は良質な芝をタイムリーに納入しなければならない。

特に芝の品質は大切だと実感した。そして、その経験を芝生産に生かした。

鈴木氏は、オレたちの仕事は安心で良質な芝を作ること。

だから品質にはとことんこだわる。

大変な雑草処理にひと手間かけてもそこには信頼という大切なものが必ずある。

だから、オレたちの育てた芝の品質だけはどこにも負けない!と自信を持って言い切る。


鈴木氏に今まで芝を納めた場所で印象に残っているところは?と尋ねると、

東日本大震災後は被災地の河岸の補修で芝がたくさん使われたなぁ、あの時はオレたちも

人の役に立っていると実感した。あとはやっぱり、大会が行われるゴルフ場や有名施設

かなと、はにかんだ表情を見せた後、2020年の東京オリンピック会場にも納めた

と嬉しそうに話した。

続けて、皇居や米軍基地にも納めたが見に行けないからなぁと少し残念そうな表情も見せた。

芝を作るという仕事の醍醐味は、自己満足かもしれないが日の目を見た芝を“オレたちの

育てた芝だ!”と自慢できること。

芝は子どもと同じ。出荷するときは、娘を嫁に送り出す気持ち。自分たちの育てた芝が

どこに嫁に行ったのか、大切に育てられているか、心配になるのも親心。嫁入り先で娘が

元気に育っているのを見ると嬉しい。自分たちの育てた芝を目にすると自然と笑みが

こぼれる。しっかり管理してくれているんだなぁと安心する。

だから、オレたちはまた良い芝を届けようとがんばれる。

反対に手入れをされず枯れてしまった芝を見ると、腹立たしいが…と口を結んだ。

「芝は好きですか?」という問いに鈴木氏は、「私は芝で育って来ましたからね」と

恥ずかしげな表情を見せながら、「愛はあります」と力強く言う。

芝に関わる仕事はいろいろある。芝は作る人、管理する人、そして使う人がいる。

オレたちは最初の作る人。芝生管理者に芝というバトンを渡すまではオレたちの責任。

オレも従業員もみんな一番に芝に関われることが楽しくて働いている。と芝を作る仕事の

魅力を語った。


鈴木氏は、全国芝生協会の事務局を務め、日本芝草学会や芝管理者向けの講習会などにも

積極的に参加するなどして情報収集を欠かさない。

http://www.zenshiba.jp/


今の芝の生産方法は、オレが子どもの頃となんら変わりない。

だから何かを変えていかないといけない。

さらに芝生産は農業と同じ。

超高齢化社会に伴う芝農家の減少、労働力の確保は厳しい状況である。

農村が高齢化で転換期を迎える中で、芝生産も間違いなく大規模化や法人化が急速に

進んでいく。現実を見据えて挑戦しなければならない。と真剣な眼差しを見せる。

そして、夢は芝工場をつくること。

室内で芝を育て、物流も含めて計画的かつ効率的な芝生産を模索していきたいと目を

輝かせながら将来のビジョンを語った。


いつの時代も娘を嫁に出す親の気持ちは変わらない。

鈴木氏は、芝に愛を注ぎ続け、誰よりも立派な晴れ姿で送り出す。

その思いは親心であり、日々のたゆまない努力は芝に関わるプロとしての誇りである。

自分が手塩かけて育てた芝が各地で青々と綺麗に成長し続ける姿、

その芝の上でプレーする人々の笑顔を見る喜び、それはひとしおだろう。

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